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広瀬健一刑場への道、そして規範

広瀬健一刑場への道、そして規範

 「生きる意味」への問いから始まった広瀬健一の刑場への道、哲学徒を自認する人間として思い浮かんがことを書き綴っておこうと思う。
 彼の手記は、ヒトという考える動物の危うさを教えてくれる。
 あとで、詳しく触れたいと思うが、彼の手記を読み進むとともに、安倍晋三という政治家のことが浮かんできた。彼の精神構造が、広瀬健一の自己分析から見えてきたような気になったのだ。
 『悔悟 オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記』は、二〇一九年三月に朝日新聞出版から刊行された地下鉄サリン死刑囚の手記である。同書の帯には「獄中で綴った、かつての自己と教団への冷徹な批判的分析」とある。
 同書から、広瀬健一という人物を紹介しておくことにする。
 オウム真理教正悟師・科学技術省次官。早稲田大学大学院理工学研究科物理及び応用物理学専攻修士課程修了。一九九五年三月二十日に引き起こされた地下鉄サリン事件の実行犯。同年に逮捕され、二〇〇九年に死刑判決が確定。二〇一八年七月二十六日死刑が執行された。
 私は、彼の手記を読み進むうちに、私たちがもっている規範とは何か、その根拠はどのにあるのだろうかという疑念にかられた。
 彼の手記の一部を引用(抜粋)してみる。

 オウムの信徒の多くは、教義どおりの宗教的経験をしていました。そのため、宗教的経験そのものの「個人的現実性」に「社会的現実性」も加わり、信徒は個人的で非現実的な宗教的経験を客観的現実であるかのように認識していました。(中略)
 そして、オウムにおいては、信徒たちが客観的現実として認識していた宗教的経験を根拠とする 行動規範が定められていました。ですから、信徒にとっては、その規範も現実的だったのです。
 たとえば、殺人を救済、すなわち「善」とする規範は、輪廻転生、麻原の救済能力、および現代人の苦界への転生などに係わる宗教的経験に基づいていました。 一般的な社会通念は「命は地球より重い」ということですが、それが「この世の一生限りの命」などの日常的経験に基づいているのと同様です。
 ところがオウムでは、日常的経験のほうは、宗教的経験によって幻影とみなされ、無意味化されていました。そのために、宗教的経験に基づく行動規範が一般社会のものに取って代わっていたのです。
 実際、信徒は教団独特の規範に従い、麻原の指示であれば殺人まで犯しました。信徒の見地からは、教義の世界が幻覚的経験によって現実として知覚され、加えて、周囲の人たちもその世界観に合致した思考や行動をしていたため、教団の規範も現実的に映っていたのです。

 広瀬の手記の引用部分をどのように解釈するのか。
 私には、「殺すなかれ」が「殺すことが救済だ」と一八〇度、規範意識が変貌、変わることに驚いた。心理学をはじめ、様々な解釈があるだろうが、私にとって、人間の規範意識が激変することが驚きである。いったい規範とは、何なのか、を考えてみたい(考察という言葉は敢えてつかわない)。そこからに「人間とは何か」につなげることができるのか試みたい。
 オウムの信徒がもつに至った規範を「宗教規範」とここでは呼ぶことにする。
 そもそも規範とは、どのようなものなのだろうか。まず、よくある『広辞苑』から引用を見てみよう。
「①のり。てほん。模範。②〔哲〕(norm)のっとるべき規則。判断・評価または行為などの拠るべき基準。」
 最近は、ネットで調べてしまうので、辞書を引かなくなっている。引用したのは一九七九年発行の第二版補訂版。これはかなり古い、最新版にはどうかかれているのか興味深いところだ。
 ネットで調べてみた。
 『デジタル大辞泉』には、「1 行動や判断の基準となる模範。手本。「社会生活の―」2 《〈ドイツ〉Norm》哲学で、判断・評価・行為などの基準となるべき原則。」とある。
 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』には、「一定の行為を命令または禁止する準則 (ルール) ,当為の法則。宗教規範,道徳規範,法規範などがある。 T.パーソンズによれば,規範は,文化体系の一部を構成し,「内面化」を通して人格体系へ,「制度化」を通して社会体系へそれぞれ定着し,人間の社会的生活の連続性,一貫性を保証する。規範を個人の社会的行為からみると次の点が今日では問題となってきている。 (1) 個人がどのような規範を行為の準拠としてもち,またどの程度までそれらの規範を内面化しているか,(2) それらの規範の力関係や個人に対する拘束力の問題,(3) 一定の社会において,どのような規範が支配的であり,それがどのような集団を通して,個人に定着されるかなどである。」とある。
 広瀬は、引用したように手記の中で、彼がもっていた社会規範は、オウム真理教の信者として出家し、その集団の中に生活することで、それまでもっていた規範とは全く異なる規範をもつことになったと自己分析している。
 私は、広瀬の手記を読みながら、個々の人間がもつ規範に普遍性があるのだろうか、という思いが浮かんだ。
 道徳規範、社会規範、宗教規範、法規範、集団規範などという言葉があるが、それぞれのもつ意味は、などと考えをめぐらした。
 まず、道徳規範をネットで検索してみた。「すべての社会は、七つの普遍的な道徳規範によって結束している──。英オックスフォード大学(University of Oxford)がこのほど、そうした研究結果を発表した。」という記事を発見。
 多くの欧米文化は今、よりリベラルで階級の少ない社会へと向かいつつあるが、人類学専門誌「カレント・アンソロポロジー(Current Anthropology)」に掲載された新たな論文は、伝統的な権力構造と、慈悲や同胞愛に対する基本的な価値観が、発展を遂げた社会の礎となっていることを示唆している。
 研究チームは、世界60地域の文化について、大規模調査を実施。その結果、すべての社会が基本的な七つの道徳規範の下で営まれていることが分かった。
 これらの普遍的規範を構成するのは、家族への支援、属する集団への支援、好意に対する礼、勇敢であること、目上の人への服従、富の平等な分配、他人の財産の尊重だという。
 こうした規範には、弱った親族の世話や子孫への財産の譲渡、自身が属する集団を守る必要が生じた場合の従軍、高齢者への敬意なども含まれている。
 あらゆる社会には、それが伝統的な狩猟採集民族であろうと欧米の先進国であろうと、文明社会を支え、社会的連携を育むための支援を行うという特徴がある。
 論文の主執筆者で、オックスフォード大学認知・進化人類学研究所(Institute for Cognitive and Evolutionary Anthropology)上級研究員のオリバー・スコット・カリー(Oliver Scott Curry)博士は、「あらゆる場所で誰もが、共通の道徳規範を共有している」と語る。
 同氏は、「これら七つの道徳規範は、人々が同じような社会問題に直面していることから、あらゆる文化にとって普遍的のようだ」「こうした特徴の一部、例えば権力者への服従などは右派的、保守的に見えるかもしれない。だが、左派の人々も、集団への忠誠心、誰かか何かに対する敬意を抱いている」と述べ、「このことから、実際には、私たちを分断するのではなく結束させていることが分かる」と指摘した。
 上記の内容は、少々難解なので、一度保留しておく。
 だだし、今の安倍政権をみていると、彼らに「道徳規範」があるのだろうかと、疑いたくなる。広瀬健一の「悔悟」のように、「規範」は、状況によって変化するのではないかと。
 この問題は、私にとっては哲学的な命題の一つである。
 
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by kazu482623_m18 | 2020-02-20 18:06 | 規範